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【2009/2】非モテ!男性受難の時代

№13 非モテ!男性受難の時代 著者『三浦 展』 文春新書 243頁 ★

 『下流社会』」で一世風靡した、三浦展の新書であるが、今回は意外とレベルが低い。なにせオビが「草食系男性は肉食系女性に食い散らかされる!今こそ男性を保護せよ!!」という、情けないものなのだ。
 内容は、最近の男女の恋愛行動に関するアンケート調査とその考察。前半が例のごとくデータの羅列とその分析なのだが、データからは当たり前過ぎる分析結果しか出てこない。おそらくこの本の企画は、「草食系男子」という言葉が流行り始めたので、恋愛に関して若者からアンケートを取ってデータ分析すれば、何か面白い結果でも出るだろう、という安直な考えで作られたのにちがいない。ま~著者があの『下流社会』の三浦展なので、アンケートの切り口はもちらん「格差」。しかし出た分析の結果は、モテる男は、ますますモテて、「非モテ」男はドンドンモテなくなるとか、正社員でないとモテないとかばかり。なんだか当然というか当たり前の話ばかり。わざわざアンケート集計してデータ分析する必要あるの?というのが正直な感想。もっとも、著者自身さすがにこれでは面白くないと思ったようで、後半は二人の女性にも手伝ってもらい、データの解釈や、「女が男を選ぶ時代になったのはいつからか」についての個人的意見をもらっている。
 しかし皮肉なことに、肝心の三浦の解説よりも、この女性ライターによる独断意見の方が、よほど面白かった。このパートは、データや分析結果は参考にもせずに、自分の恋愛経験や友人たちの話をベースに、あまり根拠がない推測ばかりなのだ。しかし30代と思われる既婚女性の意見なので、最近の「婚活」状況が分かり、なかなか興味深い。逆にこのパートが無かったら、この本はほとんど読む価値がないほどだ。
 ま~とにかく、やれ「草食系男子」だの「婚活」だの、流行り言葉をネタにした、雑誌レベルに書くべき話であった。

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【2009/2】文学賞メッタ斬り!

№12 文学賞メッタ斬り! 著者『大森望、豊崎由美』 中公文庫 398頁 ★★★★

 どの文学賞がエラいのか?芥川賞、直木賞から地方文学賞までを、痛快にメッタ斬りした快作なのだ。元大手出版社の編集者で評論家の大森と、書評家の豊崎二人の対談集。
 なんと国内には500を越える文学賞が存在するそうだ。そういえば、文庫ばかり読んでいると、どうしても店頭で手にするのは「XX文学賞受賞作品」であることが多い。ミステリィを読むことが多いので、「江戸川乱歩賞」、「横溝正史ミステリ大賞」、「このミステリーがすごい!大賞」、「メフィスト賞」、「日本推理作家協会賞」・・・等などと出会うことがよくあるが、これらの賞の違いまでは知らなかった。ま~フツーは「芥川賞」と「直木賞」しか知らないもんだ。
 あらゆる文学賞は、公募の新人賞か非公募の文学賞に分けられるそうで、有名な賞は大半が出版社の主催だそうだ。ふ~ん、そんなんだ、的な知識もたくさん得られるので、文学賞ガイドとしてお役に立つ。もちろん歴代の受賞作を詳しく紹介しているので、読みたくなる作品を多数見つけることもできたので、非常にお得な評論なのだ。
 それにしても、やはり「芥川賞」の裏話が面白い。古老の選考委員達を、世論が読めない連中とか徹底的にバカにし、本当にあげるべき人にあげていないと批判する。芥川賞を左右するのは宮元輝で、テルちゃんが理解できない作品はみな落ちる、とか・・・。確かに、日本で最も売れる作家である村上春樹や村上龍は、この日本で最も有名な新人賞とは無縁だった。よ~するに、力量のある作家を選考委員は見抜く力さえない、と歯に衣着せぬ批判をしているのだ。いや~、出版業界人としては、ここまでバラすかという実に大胆な意見ばかりで非常に面白い。これも、ありとあらゆるジャンルの莫大な量の作品を読み込んでいる二人だからこそ、できる批判なのだ。半端な数の小説しか読んだことがない我輩なんぞ、作品の批評などできるわけがないで、こんなブログに単なる感想しか書けないのだ。とにかく、本好き・本マニアなら読む価値がとっても高い文学ガイドなのだ。

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【2009/2】蛇行する川のほとり

№11 蛇行する川のほとり 著者『恩田 陸』 中公文庫 347頁 ★★★★

 いかにも恩田陸らしい佳品。我が輩が、恩田陸に期待しているとおりの、ミステリアスで優しくてちょっと残酷。だけど、どこか懐かしさを感じさせてくれる。そんな、素敵で美しい永遠の少女達を封じ込めた、物語なのだ。
 高校の美術部に所属する鞠子は、あこがれの上級生の二人から、「夏合宿」に誘われた。夏の終わりの演劇祭に向けて、舞台背景画を描くためだ。その「船着き場のある家」で鞠子を待ち受けていたのは、遠い夏の日に封印したはずの秘密だった。
 いや~いいですな~。さすが女性の作家ならではの、丁寧な描写の積み重ねによって、少女たちの揺れ動く感情、誇りと嫉妬、憧れと恐れが浮き彫りになる。ミステリアスなストーリーと、ショッキングな出来事が読者をグイグイと引き付けるが、そんなストーリーや残酷な結末なども本作ではオマケにしかすぎない。この小説を読む醍醐味は楽しみは、この小説の中に閉じ込められた、永遠の少女たちの、繊細でキラキラと耀く青春そのものなのだ。ノスタルジックで美しい夏の一コマを、物語のなかに奇跡的に閉じ込めることができた、夢のようなお話なのである。恩田陸を堪能できる、お薦めのミステリィである。

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【2009/2】沙高樓綺譚

№10 沙高樓綺譚 著者『浅田 次郎』 徳間文庫 356頁 ★★★

 希代の語り部である浅田次郎、面目躍如たるミステリィ風連作短編集である。 各界の名士が集う都会のサロン「沙高樓」で、各人がとっておきの秘密の話を語る、現代の百物語なのだ。
 三十四代となる刀剣鑑定の宗家当主が明かした秘密とは・・「小鍛冶」。精神科医が悩む奇跡的偶然の連続とは・・・「糸電話」。元名カメラマンが体験した、終戦直後の映画撮影現場での怪異「立花新べえ・・」。ガーデニングの女王と暮らす庭守の老女が語る、名園の秘密「百年の庭」。ヤクザの大親分が出世した訳とは、「雨の夜の刺客」。
 どの話も、その世界のプロが語る話なので奥が深い。ハンパなものではなく、その道を極めた人でないと決して経験できないような事ばかりなのである。それこそ生半可な知識や付け焼き刃では、絶対書けない蘊蓄が惜しげもなく詰め込まれているのだ。
 我が輩もガーデニングには多少なリとも詳しいが、少なくともその部分の記述に関しては正しい。正鵠を得ている。ま~小説家の中には、その作品の中でやたら蘊蓄を傾けたがる人がよくいる。短編の名手である阿刀田高とか、人気の京極夏彦とか。ま~京極夏彦あたりになると、江戸の怪異談の蘊蓄を披露する目的のために書いたのか!、というような作品まであるのだが・・・。
 何はともあれ、この浅田次郎の博識ぶりも負けてはいない。しかも単なる知識の披露ではなく、実体験に根ざしたとした思えない見解を言えるのが凄いのだ。専門家にかなり突っ込んだインタビューをしているのだろうが、それにしても浅田次郎は幅広い分野を書ける作家だということが良く分かる短編集である。

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【2009/2】初等ヤクザの犯罪学教室

№9 初等ヤクザの犯罪学教室 著者『浅田 次郎』 幻冬舎アウトロー文庫 244頁 ★★★

 う~む。何というか、とんでもない本である。形としては、元犯罪者が講演会で講義する形式の、いわゆる暴露本なのである。しかし、あまりにその内容がリアルなので、講演者が犯罪者だったとしか思えないのだ。いや~まさかいくらなんでも、浅田次郎が恐喝で前科何犯もの悪党だったとは・・・。だけど、そうか~だから『プリズンホテル』のようなヤクザもんの話が、やたら上手いのか。と、大半の読者は信じてしまう程、説得力のある「事実」が語られているのだ。
 「整理屋」という、倒産企業から金を巻き上げる稼業が専門とうそぶき、だいたい10億円規模の倒産なら関係者の1人はフツー死ぬもんだ、死体さえ見つからない限り犯罪にさえなら訳がない、と真顔で講義している。懇意にしているヤクザの殺人現場に偶然居合わせて、九死に一生を得た話とか、留置場で年を越して詐欺師から騙しのノウハウを聞いたとか、嘘とは思えない程のリアルさなのだ。
 もちろん創作部分もあるのだろうが、浅田次郎の抱腹絶倒エッセー『勇気凛凛ルリの色』を読むと、大半は体験から出た話であることが分かる。やっぱりもともと悪党だったようだ。ま~とにかくこの本を読んだからといって、役に立つかどうかはさておき、面白いことだけはお墨付き。暇つぶしにはもってこいの本なのだ。まさかここに書かれているノウハウを使って、犯罪をするような輩がいないとは思うのだが・・・。

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【2009/2】 ラスト・イニング

№8 ラスト・イニング 著者『あさのあつこ』 角川文庫 252頁 ★★★

 大ベストセラーで映画まで作られた『バッテリー』シリーズ全6巻の後日談を、3つの物語で綴った短編集。最終巻のラストシーンは、天才ピッチャーである中1の巧と、中3の強打者門脇が対決する場面で終わった。この雌雄を決着させない場面で終わるのも、ま~ある意味アリなのだが、欲求不満が残るのも確か。恐らく「試合の決着はどうなった!」「最後までまで読みたい」というわがままな読者の抗議にあらがえなかったのだろう。あさのは、試合の経過そのものは語らず、試合後の選手たちの行方を描いた。彼らの、(オーバーな言い方をすれば)人生をも駆けた戦いを直接表現はしなかった。戦いにより彼らの運命が変わったことを示し、戦いの運命性を浮き彫りにしている。
 第Ⅵ巻からかなり時が経ったので、実はかなり忘れてしまっていた。こういうシリーズものは、やはり余韻が残るうちに読むものなのだ。それにしても、ま~なんというか相変わらず剣豪小説なのだ。一球投げるたび、武蔵と小次郎の対決を彷彿させる、実に気合いの入った真剣勝負となる。ここまで思い入れたっぷりに、密に書き込まれると、読む方が疲れるほどだ。いったいぜんたい、野球に対してここまで深刻に思い悩む小中学生がいるのだろうか・・・。
 BLとか言われてしまう「あさのあつこ」だが、一途に真剣に生きる少年達がやはり大好きなのだろう。その点を否定するつもりはないのだが、あまりに型をはめすぎているようにも思える。自身この小説の中で、そのような台詞を高校生の瑞垣に語らせているのに、自らその枠から身動きがとれなくなっている。瑞垣の妹の香夏の姿は、まるで小説『バッテリー』に囚われている「あさのあつこ」のようにも見えてしまった。
 大ベストセラーを書いてしまった作家は、その作品の呪縛に囚われるてしまう。作家の手から一度離れてしまった作品は、作家だけのものではない。無数の愛読者のものでもあるのだ。その膨大な読者達の想いが、重石になり枷となり、作家を縛る。名作『バッテリー』は、それだけあさのにとって重荷だったのだろう。
 同じあさのの『THE MANZAI』もそうだが、シリーズものはキャラが固定なので容易にマンネリ化する。この『ラスト・イニング』では、天才ピッチャー原田巧がいる新田東ではなく、ライバル校・横手二中の瑞垣に視点を変えることで、新鮮さを出しその愚を避けている。
 また、勝負や戦いの話は、「力のインフレーション作用」により、必然的に敵役の力量の強大化に繋がる。つまり主人公が乗り越えるべき敵は、常に強くなければならないし、その敵に勝ったら、次の敵はさらに強い必要がある。ジャンプ系のマンガによくあるパターンで、『ドラゴンボール』がその典型。ま~マンガを引き合いに出さなくてもいいのだが、あさのは、次の試合を用意するのではなく、試合を回想することにより、このパターンを巧みに避けている。さすがベテランは上手い。
 『バッテリー』を愛読してきた読者には待望の小説であり、その大半は満足できたはず。説教臭いところもあるが、よくできた小説である。

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